四.伊賀と信楽




専門的な話も少し。伊賀と信楽について。

1.「○○焼」って何でしょう。

よくある質問に「これって”なに焼き”ですか?」というものがあります。 世間的にも、テレビなどでも誤った「○○焼」の使い方をしている事は多く、 非常にややこしいことが流布され、適当に使ってる人が多いのが実際です。

「信楽焼」を例にしますと・・・

元々の使われ方は「信楽で特色ある焼物」のことです。 普通、「博多ラーメン」って言えば「トンコツ」ですよね。 それと同じなんです。なにか特別な用語じゃなくて、普通の言葉。 同じように、そりゃもう戦国時代から「信楽」と言えば、「コレ」って決まってた。 「掘ってきた石混じりの粘土をザックリ形にして薪窯で焼く。釉薬は使わない。」 っていうものです。

そう、それだけのことなんです。

(!ここから余談。しばらく飛ばしてOKです!)

これだけの話が、なんで難しくなるのか。
それぞれの立場で適当なことを言う人が増えたからです。

例えの話です
「博多でやってる”醤油”ラーメン」って、何ラーメンです?
「博多ラーメン」て言いますか?

言いませんよね。

「○○焼」も、難しい話ではなかったんです。
しかし、現代になって色々と出てきた問題があります。

①輸送手段の発展
もうね。どこでも、何でも作れちゃうわけです。
粘土も釉薬も配達してくれる。窯はガス窯があればいい。
なんなら、東京だって郊外に薪窯を作れば信楽焼が作れる。
逆にいえば、信楽でも「京焼」が作れちゃうし、作ってる。
他でも、磁器の○○焼は大半が××地方に製造委託してたり。
お土産品を、中国や東南アジアに製造委託とかね。

まぁ饅頭の土産物とか、そういうのと同じ。
ハワイで買ってきたのに、[Made In China]同じ。

「○○地域の外で作ったものは○○焼の商標を使うな!」
という話にまで発展するんです。コレ。
確か却下されたはずですが、商標登録問題。結構話題になった。
もう何が何だか、ゴチャゴチャです。

②伝統の衰退
伝統を守ると、量産が出来なくてコストも高い。
もうね、世の中の器は100円で十分なんですよ。

売れなきゃもうやっていけないよ!
薪で焼いてなくてもいいじゃない!
釉薬掛けてもいいじゃない!

その結果・・・
「○○地域」で作ってるものは、全部「○○焼」!
もう醤油ラーメンも博多ラーメンを名乗ってOK!
分かりやすい!誰にでもわかる!これでいこう!
もうね!信楽で作った「京焼」も「信楽焼」にしよう!
中国産磁器粘土でも、もういいじゃない!有田焼で!
もういっそ、製造工場はインドに建ててしまおう!

→「なんだこりゃぁぁぁあ!」

に、なりますよ。全国でこういうのがある。
知れば知るほど、「ようわからん」になる。
そらそうだ。


「☆伝統のハワイ人形(MadeInChina)☆」

客:「で、これって何人形ですか?」
伝統派:「これは中国製だよ!外見だけだよ!」
商売人:「委託製造している、伝統品だよ!」
伝統派:「許せない!こんなもんハワイ人形じゃない!」
商売派:「いや、そんなことしてたら売れないよ!」

客:「まぁ、愛らしくて安いし、これでいいや。」


こういうことは日本に限らない話ですね。
西洋食器のウェッジウッドは2009年に倒産・身売り再建したわけですが、 アジアに工場があって、高級品以外は認定のアジア工場で作ってる。 もうね、伝統とかじゃなくて工業の話ですよ。「部品は日本製」とか、 「調理工場は日本だから!」とか、そういうのと同じような話です。 買う方はね、だいたい、大して気にしてないんだな。

で、だいたいね、伝統側が「商売的廃業」に至ることが多い。

だいたい、ね。


まぁ、そういうのは置いといて。


「信楽」と言えば、もう「コレ」って決まってるんです。
ラーメンと一緒。その特色を覚えていきましょう。



2.伊賀と甲賀と信楽と

では、ようやくですが信楽焼と伊賀焼の特徴。


まず、信楽っていうと




こういうものです。左が利休所持と伝わる有名なもの。
右は鬼桶などと名前のつく形で、これらが典型です。

全体の色は赤く発色。
これは信楽の粘土を薪で焼いた時に出る「緋色」(ひいろ)という色彩です。 信楽の最大の特徴は、この自然な赤の発色の深みや味わいにあります。 そしてこの色は、土を掘って、焼いてみないと分からないもの。 更に、焼いた時の環境。夏や冬・梅雨など、気温・湿度が関係して、 この色にしたい!なんていうワガママが通る世界ではありません。 「いい色に出やすい土」なんていうのはありますが、それくらいです。

で、信楽の第二の特徴が、白い粒。これは長石という石の粒です。 俗に「石爆ぜ」(いしはぜ)と呼びます。 この辺りの粘土は、きっちりと風化が進んでいないため、 粘土に石が混じっているんです。それを、そのまま使う。 だから、石は焼かれずに白いまま残るんです。 実は、このせいでザラっとしたり、水漏れしたりします。

「え?・・・それって意味ある?」って思うかもしれませんが、
ともかくも覚えておいて下さい。

最後に、黄色の部分がありますね。これは焼き上げる際、 薪の灰が降りかかって灰ガラスとなって付着したものです。 これを自然釉(しぜんゆう)と呼びます。 これは、別にあってもなくても構いません。

形は、全体的に素朴。複雑な形は使わないのが御約束です。 なぜって、元々農民用の壺などですから、装飾があると、 あとで変なキズになったり、運ぶ際に持ちにくかったり、 積み重ねることが出来なくなったりします。

というわけで、信楽の特色。

①緋色
②石爆ぜ
③素朴な形

以上です。これを達成するには、下記が必要です。

①緋色:薪の窯で焼きあげる。
②石爆ぜ:信楽の天然粘土を使う。
③素朴な形:これは作り手の問題。

どうでしょう?簡単に見えませんか?
実際、近代以前であればもう普通も普通の当たり前。
どこの産地だってやってることだったんです。

「粘土を掘ってきて、形を作って薪で焼く。」

信楽の粘土を掘って、薪で焼いたものが信楽焼。
越前の粘土を掘って、薪で焼いたものが越前焼。
備前の粘土を掘って、薪で焼いたものが備前焼。
常滑の粘土を掘って、薪で焼いたものが常滑焼。
有田の粘土を掘って、釉薬と薪で焼けば有田焼。
瀬戸の粘土を掘って、釉薬と薪で焼けば瀬戸焼。
唐津の粘土を掘って、釉薬と薪で焼けば有田焼。

戦国時代末期、利休の頃から、茶人や大名が「新しい窯」を加えます。 毛利家の萩焼、薩摩藩の薩摩焼、鍋島藩の鍋島焼、紀州徳川家の偕楽園焼、 尾張徳川家の御深井(おふけ)焼などなど。それぞれに特色があります。

そういった中、藤堂藩が始めた「伊賀焼」は茶道具特化として名高いものでした。


伊賀焼:「信楽焼」の技術を使い、茶道具として謹製したもの。



左は伊賀花入「寿老人」。右は有名な伊賀水指「破れ袋」。

「伊賀焼」は、動乱の桃山時代に生まれた象徴的な名品として、美術史に欠かせない存在です。 その第一の特徴は、その豪快な風貌にあります。農民的な素朴な焼物であった信楽焼を、 豪快な武士風に、加えて「栄枯盛衰のはかない思いを載せるかの様な佇まい」に仕立て上げています。


つまり、「侘び」です。

「正直に慎み深く、おごらぬ様を、侘びという」武野紹鴎

では、その特徴を見ていきましょうか。

①自然釉
背面など信楽の緋色が一部残っていますが、前面にはたくさんの自然釉が降りかかり、 雄大な緑の景色を作り出しています。これは何か作家の意図によるものではなく、 窯の中で、薪の灰が降りかかるに任せた自然な景色です。薪の灰がたくさん降りかかって、 それが景色になるほどに焼き続けるという、非常に贅沢なことをやっているわけ ですが、人間の手の及ばぬ、「まさに自然そのものの風景」を得ることが出来ます。

②焦げ
破袋にはありませんが、花入の足元など、自然釉の変化の1つ。非常に高温で焼きあげ られることで、一部にのみ、こういった青や黒の変化が起き、ザラザラと肌合いも変わる。 一種の苔の生えた石灯篭のような風合いになるもので、特別に「焦げ」と呼ぶ。

③動的な造形
素朴に作っていた信楽とは異なり、明確に意図された形をしています。 一種、仏様、お地蔵様のような風貌であったり、崩れた形であったり。 さらには、破れたものまでも、そのままに修復して使うところへ至っています。 これを「崩した形をしているだけ」というような見方では浅いです。 奇麗なもの、端正なものを追いかける中国的な美的感覚から離れ、 自然を賛美する心は、もはや曲がり、破れているものさえも自然と判別。 こういった精神が、「日本独自の境地」として美術史に輝いたのです。

これら、難しい特徴を調和させ、1つの作品として完成させたものが
「伊賀の茶道具」です。

①自然釉
②焦げ
③自然造形の美


とはいえ、名品は少数です。

この当時はまだまだ、通常の状態でさえ餓死する農民が絶えなかった。 というより、ほとんど当時の戦いというのは、「食糧争奪戦」です。 そんな中、藤堂藩を「飢饉」が襲い、あえなく「伊賀焼は終焉」します。 よって、十分な数量を製作することもないままに潰されました。

これが「伊賀焼」です。

伝統も何もありません。とっくに途絶えた技術です。

桃山時代の新しい窯というのは、ほぼ壊滅しました。 技術が再興されたのは戦後の、桃山復興期。 各地の巨匠によって、陶芸作家の時代が始まる頃です。

私もまた、そういった巨匠に憧れて、陶芸に身を投じた者です。



あ。そうそう。それで、伊賀の作り方。

①自然釉ビードロ
間違っても「灰をくっつけて、ガス窯で焼く」なんていうのは、 素人ダマシにしても、感心できたものじゃないんですが、 現代には残念ながら、そういうことをやって「伊賀」という作家もいます。 たっぷり掛からないといけません。だから、長時間焼く。 たくさん灰が掛かって、ガラス状(ビードロ)になる。 そういうものです。

②焦げ
この条件を満たせるのは、窯の中の一部に置いたものだけ。 簡単にいえば、薪が当たって割れちゃうような位置にあるもの。 そういう場所に置いたものに、これが出ます。出ない時もある。

③造形美
これは、作り手によります。一番難しいところですね。 古いものを摸作して学ぶことも多いですが、自分の心の中に、 侘びというものを作っていけるように心がけています。


かつての名品を焼いた方法は単純です。

「粘土を掘ってきて、薪で焼く」

これだけのこと。それを現代の作家はやらないんです。

買ってきた粘土の方が作りやすい。思いがけない事も起こらない。 化学的に成分調整された釉薬なら、いつでも同じ安定の品質です。 そういう材料を使って、奇麗に作って、奇麗に焼いて。 窯はガス窯が簡単。誰でも使えます。修行いらず、場所いらず。 それでいて何とか採算も取れる。非常に合理的で、無駄がない。 同じようにやれば、ほとんど同じように出来上がってくれる。 そういう手法でも、十分に人間国宝になれる時代になりました。

昔からの方法っていうのは、粘土堀り、薪割り、徹夜の窯焚きという重労働です。 修行と経験も必須。苦労が多い割に回転も悪いので、経験もなかなか積み上がらない。 そして殿様窯と呼ばれるように、採算性は著しく低く、基本的に赤字。 作品の焼き上がり、特別なものがある。優位性はそこだけです。

そりゃぁ・・・もう、薪窯というのは変わり者の巣窟です。
趣味でなければ誰もやりません。粘土も掘らないですよ。


でもね。

土掘って粘土にして、薪を割って、窯を焚く。


私はそうやって、現代における伊賀の名品を、
それも本当の茶道具を、作ってみたいと願うのです。


皆様の御厚意に深謝しつつ、仕事をしている次第です。

陶工 吉村祐